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京阪電車、七条で降りてすぐ目の前。七
条大橋。
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上流側、右岸側から。橋脚は楕円のようではなく、なぜ前面で流れを受け止めるよ
うな広い面積をもたせているのだろうか。
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下流側右岸側から。床固めが洗掘されて、また壊れて下流へ流れ出している。
橋のためにも早く復旧してほしい。
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右岸側下流側の橋台、水平に二本の大きなクラック。
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橋の上から河床をみる。
上流側橋台前面は洗掘されている。
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志ちじょうおおはし と書かれている。
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左岸側、上流側の護岸。おそらく排水管の吐口だろう。石の積み方が緻密だなと思
う。
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うーん。凍結防止には相変わらず塩化カルシウムなんですね。塩害など悪影響とは
言われるのですが。
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左岸側の橋のたもとにあるObyan cafe。土木遺産の近くにこのようなお
店があると嬉しいですね。
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お店から撮影させて頂いた橋。
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京阪三条から乗り換えて、地下鉄東西線。
全面、転落防止のドア。東京でもずいぶん導入されています。増加する転落事故。このような設備を早く整備してほしい。
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あら。京都はエスカレーター、左側に立つのですね。
右側に立つのは大阪のローカルルールなのか。
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琵
琶湖疏水を今からめぐります。蹴上駅で降車。北へトコトコ歩くと、道路沿いはインクラインの盛土。石積が二
段。
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ねじりまんぽの入口。
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ねじりまんぽとは、上載荷重と直交しないトンネルで、らせん状に煉瓦を積む工法
をいうそうです。
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南禅寺交差点の橋梁から南禅寺船溜まりを見る。
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下流方向を望む。この水路は鴨川へ放流される。
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正面の建物は琵琶湖疏水記念館。お正月で休館。残念。
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水路のほとりに建立された碑。
三大事業に携わった人達のご苦労に対し刻まれた漢詩、峴
山懐古の一文。
「誰知萬里客 懐古正踟蹰(足へんに厨)」
訳文:誰が知ろうか、万里をやって来た旅人が、 昔を思い出し、行きつ戻りつしていることなどを。
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インクラインで、船の目線まで降りてみました。 |
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上側。二線の線路がある。 |
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このような台車で高瀬舟をひいていたのですね。 |
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若干の縦断方向の起伏あるが、水平方向は揃っている。
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インクラインの頂上。使用されていた滑車が残されている。
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琵琶湖疏水は舟運と同時に、水力発電や灌漑、防火も兼ねた。
法面上方の木々の奥に見える赤い建物が発電所。
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琵琶湖からの水を発電所へ導水している。奥の赤い建物が発電所。
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発電所の上から下を望む。二本の管。左は排泥施設と思われる。
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先人の偉大な事業に感謝と同時に自分の職に改めて誇りを持った。
土木は、ある一つの事業のみに着目するだけでは不足する。
地域の再生、地域産業の発展、地域防災など多面的にみる力が必要だ。
土木屋は先見性と企画・発想力と実行力と信念か。 |
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田
辺朔朗像。田辺氏は、明治2年に東京へ都が移り、産業、人口とも急激に衰退した京都を再生すべく、琵琶湖疏水事業の指揮を取った。
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右は浄水場。写真奥は琵琶湖からの導水路。
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この琵琶湖疎水事業で殉職された方々を祀る碑。田辺朔朗氏が建立された。
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水路閣は南禅寺の奥にあります。
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この工事、日本人のみの手で設計、施工された。
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表面の漏水やエフロレッセンス。劣化も進んでいると思う。 |
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コケも全面に張り付いている。日当たりが良くない場所にあるので致し方ない部分
もあるか。
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キーストーン(要石)がない。
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南禅寺内の水路。三面は石張りが施されている。 |
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南禅寺三門。
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